2008年12月19日は外国語学部教授蘭先生と合同授業を行い、、中国残留孤児で、日本帰国者の池田さん(写真右・右側)に、中国から帰国の様子・日本での生活の様子をお聞きしました。
1月8日に池田さんと会う機会があったので、皆さんからの質問の一部を飯島が聞いてきました。
質問
(1)日本の子を養子とすることに、徐さん夫妻は抵抗を感じなかったのか。
当時子どもがいなかった徐さん夫妻にとっては、日本人の子どもも、中国人の子どもも関係なかった。(補足:蘭先生がおっしゃっていたように、子どもは将来自分たちの老後の面倒を見てくれる存在であり、将来の保障でもあったため、中国で子どもを持つことは大切であった。)
(2)なぜ、「小日本鬼」という言葉になったのか。
「小」子どもをあらわし、「鬼」は日本語と同じ意味で、中国での日本に対する蔑称。
(3)中国人の留学生はいつ頃から増えだしたのか。
Coming soon!
(4)池田さんは日本で冷たく扱われたこと、人の優しさにふれたことの両方を経験した様ですが、日本のことをどう思っているのか。
世界にはどこにでも悪い人・良い人がいて、悪い人と会ったからと言って、その国が悪いとは一概にいえない。日本は自分の故郷であることに変わりない。
(5)日本人というアイデンティティにそこまでこだわったのはなぜでしょう。
小さい頃、中国ではずっと「日本人」と言われて、いじめれていた。また一方で、日本に来てからは「中国人」と見られ、差別なども受けてきた。しかし、他人からどう言われようと、日本語が流暢でなくても、私の体に流れているのは日本人の血であるから、日本人としての意識を持っているで。
(6)中国残留孤児の方々は、「日本人」という意識のほうが強いのだろうか。それとも、中国人として育てられてきて中国人という意識のほうが強いのだろうか。
日本人の両親を持ち、日本人の血が流れているので、ほとんどの中国残留孤児は自分たちを日本人だと思っている。
(7)日本政府はなぜ中国残留婦人や孤児の救済を戦後直後から、もしくは早く行わなかったのか。
Coming soon!
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