| 
  • If you are citizen of an European Union member nation, you may not use this service unless you are at least 16 years old.

  • You already know Dokkio is an AI-powered assistant to organize & manage your digital files & messages. Very soon, Dokkio will support Outlook as well as One Drive. Check it out today!

View
 

講義:オーストラリア編

Page history last edited by mariko iijima 15 years, 5 months ago

質問(1) 中山奇流(和歌山県出身のパールダイバー)について

 残念ながら、中山奇流の詳細についてはあまりわかっていません。1882年に渡豪していますが、おそらく外国船の船乗りとして、シドニーに到着し、木曜島に渡ったものと思われます。パールダイバーについては、和歌山県南部の出身者が約半数以上を占め、当時捕鯨産業が衰退しつつあった太地町周辺からの移民も多かったようです。同じく、和歌山県南部、枯木灘に伝わる子守唄の中には、青年が貧しい生活を切り抜けるため、オーストラリアでの真珠採取業に旅立つ様子を歌った唄があるようです。

 

質問(2) オーストラリアの日本人移民に対する待遇はハワイ・アメリカと比べて比較的良かったと思いますが、なぜ移民数が少ないのでしょうか?

 オーストラリアへの移民数はハワイ・アメリカがそれぞれ12万人ほどであったのに対し、2千~3千人程度と非常に少ないですね。サトウキビ農園での待遇や日本人の対する評価はハワイ・アメリカより良かったのに、なぜオーストラリアに移民した人が多かったのでは?と思う人もいるのではないでしょうか。まず、考えてもたいたいのは、1901年~のオーストラリアの移民政策です。日本人真珠貝ダイバーに関しては、移民政策の特例措置がとられましたが、需要以上のダイバーは採りませんでした。つまり、どうしても必要な非白人以外は受け入れないという、ある意味とてもしたたかなオーストリアの政策です。また、リクルート先が和歌山県(前述の中山奇流の勧誘によるChain migrationの傾向が強い)と愛媛県の特定地域でしか行われなかったことも、移民数が限られた要因と考えられます。最後に、真珠貝ダイバーの給料はハワイやアメリカと比べものにならないほど高かったのですが、死亡率も非常に高い仕事でした(それは、次回の授業で触れます)。そのため、行くのに躊躇する人も多かったのではないでしょうか。

 

質問(3)木曜島でのお墓について:単身でしかも短期間で労働者としてオーストラリアに行ったのにもかかわらず、現地で亡くなったら骨を埋めたのですか。

ほとんどの場合がそうです。人の死というのはいつ起こるかわかりません。海外に移民した日本人の多くは日本で骨を埋めたいと思っていましたが、過酷な労働や不慮の事故(木曜島のダイバーは特に死亡率が高かったことは言いましたね)で亡くなる人もいました。その場合、死体を日本に持っていくこともできず、初期の日本人社会では墓地を作るためのお金もなかったため、当初は空き地などに埋葬されていたようです。しかし、しばらくするとお金を出し合って共同墓地などを作り始めるようになります。

 

補足(1) オペラ「Mikado」について

 1880年代のオーストラリアのジャポニズム・ブームの一例として、歌喜劇「Mikado」を紹介しました。今年2008年は、ロンドンで上映されているようです。もしよかったら、ウェブサイトをご覧下さい。http://www.carlrosaopera.co.uk/productions/mikado/mikado.asp

 

 

 

 

 

 

Comments (0)

You don't have permission to comment on this page.